古代ガラス


ガラス製造の歴史はおよそ4500年ぐらいと言われている。紀元前2000年代の古代メソポタミアの遺跡からは、ガラスの塊や棒、珠(ビーズ)が出土しており、その頃すでにガラスが作られていたことがわかる※1
。中空のガラス容器の製作は、メソポタミアでは紀元前16世紀から、エジプトでは紀元前15世紀に入ってから始まったと考えられている。
古代のガラス容器の製法は、主にコア技法とモザイク技法であった。中でもコアガラス※2は、香油瓶やアイシャドー入れなどに用いられており化粧瓶のルーツといえよう。
ローマ時代になり、紀元前1世紀頃、鉄パイプを使って吹く、吹き技法が発明された。それまで宝石に変わる貴重品であったガラス製品は量産可能となったため、高級品ばかりでなく日用品にも用いられるようになった。
瓶、食器類からランプ、窓ガラス、タイル、医療器具、装身具などあらゆるものがガラスで作り出された。カット技法、研磨、エナメル絵付け、彫刻技法、カメオガラスなど、現在知られている加飾技法のほとんどはこの時代に発達した。


ローマガラスはヨーロッパをはじめ世界中に伝播され、その後各地でガラス製造が盛んになってゆく。すでにガラス珠など古くからつくられていた中国にもローマンガラスは伝わり、独自のガラス製品が作られるようになり、のちには日本にも伝えられてゆく。
※1
バビロニアの紀元前17世紀頃の粘土板文書には、ガラスの着色や、鉛ガラスの製法などが記されており、化学的な調合法によって行われていたことが解読されている。
※2
コアとは、ガラス器を作る時の芯のことで、コア技法で作られたガラス器をコアガラスと呼んでいる。金属棒を芯棒とし、まわりに耐火粘土をつけて、容器の形に 芯型を作る。その上に熔けたガラスを巻きつけるか、あるいは芯型を熔けたガラスの中に浸して付着させて、器体を作る。さらに別の色ガラスを紐状に巻きつ け、上下に引っかくなどして装飾文様を作る。続いて口縁部を整形し、把手などをつけて冷ました後、金属棒を抜き取り、芯をかき出して完成する。
日本のガラス
日本においては、中国から伝わったガラスをもとにして、弥生時代から勾玉(まがたま)などのガラス玉類が作られていた。古墳時代には玉類も形、色彩とも多種多様になり、古墳からトンボ玉など多数出土している。飛鳥、奈良時代には、朝廷の保護のもとで盛んにガラスが製作され、原料調合からのガラス製造に関する記録も残っている。これらの玉類は主に仏具に用いられた。
その後もガラス玉類は作られていたと考えられるが、それ以上の技術の発展は見られず、ガラス容器の製造については、江戸時代まで行われた記録がない。正倉院の瑠璃碗や瑠璃壷など、日本におけるガラス容器の遺品は中国を経由した輸入品と考えられている。
これら輸入のガラス容器は、特に社寺において、仏舎利を入れる容器に用いられることが多かった。平安文学には瑠璃杯、瑠璃瓶など「瑠璃」の品々が登場する。これらの品々は、宮廷貴族の間で、仏前の調度や大事な行事でのしつらえ、進物、また「薬・香・黄金」といった貴重な品々の容れものとして重用されていたことがうかがわれる。
近世に入って中国人の他、ポルトガル人、スペイン人、オランダ人来訪など海外との交流が盛んになるにつれて、多くのガラス製品が流入した。それと共にガラス製造技術も伝えられ、江戸時代には長崎で製造が始まり、大阪、江戸へ、その後薩摩藩など各藩へと広がっていった。
江戸ではガラスの瓶や食器類(皿、徳利など)、かんざし、トンボ玉、風鈴、レトルト、寒暖計など多種多様のガラス製品がつくられていたことが記録に残っているが、ガラスはまだ珍品であり庶民的な扱われ方をする品はごく少なかった。
明治に入ると国策として官営ガラス工場が設立された。ガラス製造は西洋の技術を導入した近代化、量産化の方向へと大きく流れ、官営及び民間のガラス工場はともに試行錯誤をくり返し、ガラス工業の発展に心血を注いだ。
明治から大正にかけては、瓶類、食器類、ランプなどの灯用品、板ガラスなどの実用品の製造に力が入れられ、需要の増加と共に、明治末期頃からは機械化による量産が始まり、普及への飛躍的ステップとなる。
今日我々は、生活の中にとけこんだガラスを身近な日用品として楽しみ、美術工芸品として鑑賞する。またガラスは医学、理化学、建築、照明、光学、通信、電気電子用・・・などあらゆる分野に活躍しているがまだまだ未開発の部分が残っている、未来の大きな可能性と夢を秘めた存在である。
日本の化粧瓶


日本で最初に瓶の作られた江戸時代、ガラス瓶入り化粧水が登場した。我が国の化粧瓶のルーツである。「江戸の水」という化粧水が文化7年(1810)式亭三馬の店で売り出された。彼は薬店を経営しており戯作者でもあった。
文政7年(1824)「江戸買物独案内」には「おしろいのよくのるおかほのくすり 江戸の水 箱入びぃどろ詰 にきび御かほのできもの一切によくいろを白くしきめをこまやかにす」という広告がのっている。
明治に入って西洋の化粧品が入ってくるようになると、模倣から始まって国内でも洋風の化粧水やクリーム類が作られるようになった。明治30年頃には、これらの化粧品類が一般に使われだすのに伴って、容れものとしての化粧用ガラス瓶が市場にでてきた。
日本製の本格的な香水瓶がつくられたのは、大正に入ってからのことである。
プラスチック容器の導入

人類の長い間の工業、技術の歴史を経て、20世紀に入り、セルロイド、ベークライトから始まって、次々に新しいプラスチックが発明され、工業化された。
それに伴い、プラスチック成形技術は急速な発展をとげた。
高品質樹脂の選定、高度な成形によって、良好な透明度や、精巧な加工に対応でき、バラエティは計り知れない。
ガラス素材とプラスチック素材の両方の特性が生かされてこそ、製品内容にふさわしい、美しいかたちが作り出される。








